禅洲拓(2001年主将 1999年入学)
私が主将をしていた頃の東北大OLCの思い出や出来事をいくつか書いてみます。
この年の東北大大会のテレインは「むつかみかいどう」でした。調査合宿のために川渡セミナーセンターに行ったものの大雪や大雨のため調査ができず、遊んでいた記憶があります。寒い中、雨の中、強風の中、原付で飛ばして仙台−川渡を往復するときに事故がなかったのは何よりよかったです。何人か踏切の一時停止で捕まった人はいましたけど。仙台市から離れた場所でしたが、同期が25人ぐらいと多かったことと、先輩が作ってくださった旧マップもあったおかげで、無事に開催することができました。
インカレ団体戦MEは、優勝を期待されながらも4位でした。WEは大本命と言われていた京都大学が失格となり、あと7秒で初優勝となる2位でした。男子の優勝ばかりが注目されていた中で3年連続2位という記録は、年度前半の取り組み内容から見ても正直期待以上のものでした。結果を出せたのは、後半の努力があったからでしょう。この年のインカレでは併設クラスの活躍も目立ちました。併設クラス男子リレーで出場した東北大学学年対抗チームが4位まで独占しました。優勝4年生チーム、2位3年生チーム、3位1年生チーム、4位2年生チームでした。このときの表彰台の記念撮影に向かうみんなの勢いとうれしそうな表情は私が見たインカレの中では一番のものでした。山川克則杯があったら間違いなく取っていたでしょう。
私の代のとき、東北大学はEMITを購入し、練習会等でも使われるようになりました。ちょうどこの頃から全国の主要な大会ではパンチシステムとしてEMIT(Eカード)が使われるようになりました。このシステムは電子的に記録してラップも出せるということで画期的なものでした。そして、翌年の東北大大会からはEMITが使わることとなりました。
他にこの年から変わったこととして、連絡網があります。今まで連絡網を電話で流していたものを携帯電話のMLを使うことにより簡単に誰でも連絡を流せるようになりました。その効果もあり、連絡を気軽にできるようになって合トレ回数も増えました。
他にもいろいろな思い出や出来事がありますが、このへんで終わりにしたいと思います。最後になりましたが、オリエンテーリングと東北大OLCのますますの発展を願っています。
堀江守弘(2002年主将 2000年入学)
<2002年度
東北大OLC>
2002年4月、個性あふれる新入生が入部し、東北大OLCは快調なスタートを切った。この年はインカレ団体戦優勝を目標に掲げ、合トレを中心に活動を行った。春は新入生を含め数人で河原や山、北雄杯のコースを走りに行ったことを覚えている。
この年から、新歓合宿はグランディーへと場所を移した。新入生はもちろんのこと、その施設のすばらしさは上級生にも好評だった。初日は雨でオリエンテーリングができなかったものの、2日目は見事に晴れ、こけし杯では後藤大輔が勝利を収めた。
東大大会、筑東戦を経て、6月の下旬には横山友彦、小林恭輔、濱田尚ら3人がスペインで開催されたJWOCへと旅立った。彼らが旅立ってちょうど1週間後、岩手大学との対抗戦が奥武士で開かれた。そして夜は親睦会を兼ねた七夕コンパが国分町を舞台に行われた。
8月11日、村山口登山道にて北東インカレが行われた。例年通りの晴天が選手たちを苦しめた。もちろん、大コンパはこの年も健在で、激しい一晩となったことは言うまでもない。
9月29日には第25回東北大大会。前日の土砂降りも大会当日には上がり、大会は無事成功を収めた。11月に入ってすぐには、全日本リレーと合わせて行われたインカレショート。前日の全日本リレーでは爽快な天気のもと快適に競技が行われたが、ショート当日は季節が変わったかのような雪。路面凍結のため、参加者全員が麓から会場まで徒歩で向かった。そして残念なことに、併設競技すべてが中止となった。しかし、寒さにも強い東北勢、エリートでは禅洲拓が2位、堀江守弘が3位に入った。
12月、今まで部室として使ってきた学習室が老朽化に伴い壊されることとなった。そのため、学習室お別れオリエンテーリング大会がOBOG多数参加のもと開催された。しかし、その後も一年以上学習室は健在だった。
静岡での冬合宿が終わると2003年の幕開けだった。インカレまであとわずか。男子は熾烈なメンバー選考の結果、一走から櫻本、堀江、濱田、禅洲というメンバーに決まった。女子は平林、姫野、藤谷の三人。
レース初日はクラシック競技が行われた。そこで禅洲拓が優勝、姫野祐子が4位、濱田尚が5位という好成績を残した。二日目、男子は5年ぶり6度目の優勝を狙ってのレースだったが、この年も優勝旗には手が届かなかった。男子6位、女子9位という結果で2002年度のインカレは幕を閉じた。
最後に、2002年度の主将を勤める中で、至らない点が多々あったと思いますが、部員のみんな、OB、OGの方々のおかげで一年を乗り切れました。再度心から感謝し、終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。
櫻本信一郎(2000年入学)
<オリエンテーリングと私>
部活も30周年を迎え、その記念に30周年誌をだされるということで、私も記念に原稿を書きたいと思います。私とオリエンテーリング部との関わりをインカレ中心に書いていこうと思います。
私が1年の時、大学では何かしらのスポーツ系サークルに入りたいと思っていました。また、せっかくやるのだから本格的にやりたいとも考えていました。そこで、体力だけでなく知力も重要な鍵となる、「オリエンテーリング」というスポーツをやろうと思いました。小学校の時の臨海学習か何かで1回はやっていたので、結構お気楽な気分でオリエンテーリング部に入部をしました。話は飛んで、1年のインカレショート(滋賀県ガリバーの森)の時、偶然にもMFで優勝しちゃいました。このときは始めての表彰台でうれしかったです!そして、1年のインカレ(愛知)ではエリートの走る姿を見て、それが格好よく、感動しました。特にリレーが感動しました。大学の代表として走る4人とそれを応援する部員。部員全員が1つになることの素晴らしさってものを経験しました。できれば、私もせめて4年の時にはエリートリレーを走りたいと思いました。また、インカレの表彰式を見て、私もいつかあの上に立ちたい!とも思いました。インカレを経験して私は本格的にオリエンがやりたいと思うようになりました。また、後夜祭、講習会を通じ、他大にも友達やライバルができました。インカレって楽しいですね♪
2年の時のインカレはショート(加賀海岸)では予選落ち、また、クラシック、リレー(栃木県矢板市)は両方とも併設でした。でも、春のインカレではクラシック、リレーとも表彰台に乗れてちょっと美味しかったです。特に、リレーの併設では東北大が各学年ごとでチームを組み、1〜4位まで独占(この年は6位まで入賞)してました。でも、やっぱりエリートの人が羨ましかったです。特に同期でショートもクラシックもリレーもエリートを走っていた堀江が。来年こそは!
そういえば、この年はスウェーデンでのO−ringenやフィンランドでのWOC併設に行ってきました。海外旅行も兼ねて非常に楽しい遠征になりました。また行きたいです。
3年の時、この年のインカレショートは雪の中、長野県菅平高原で行われました。あまりの雪にB−Final、併設は中止になってしまいました。みんな、遠くから来ているのに、中止だなんて・・・複雑な気分でした。せっかく来たのにレースすらさせてもらえないんですからね。みんなの分まで走れればと思い、レースをしました。今回は無事に予選を通過し、A−Finalに進出しました。A−Finalでは初めてということもあり、成績はほどほど(16位)でしたが、ビジュアル区間を走っているとき、部員のみんなから応援されたのが感激でした。他にも他大の人や一般の人からも応援されて、うれしかったです。標高も高く天気も雪で、苦しいレースとなりましたがみんなの応援が力になってくれました。表彰式では同期の堀江は入賞していて、羨ましかったです。
春のインカレは愛知県で行われました。このときも私はクラシックのE権を獲得し、春のインカレでは初エリートとしてレースをしました。このときは、ゴールした瞬間でさえ表彰台に上がれないって事がはっきりしていただけに、悔しかったです。最終的な結果は10位でした。うれしかったのか悲しかったのか良く覚えてませんが、あと1回インカレが残されているので、さらに上を目指せるって事ははっきりしてました。1つ下の濱田が5位入賞をしていてうらやましかったです。一方リレーは、エリートの1走を任されました。1年の時に抱いた憧れの一部が3年で実現するとは思わず、レース前夜はなかなか眠れなかったです。1年の時と立場が逆転したんだなぁと思いました。レース自体はここ何年か続いていた1走での出遅れを防ぎ、トップ集団で2走へとつなぎました。レース中は夢中で、かつ、冷静でした。特にラスポ→ゴールを駆け抜けるとき、みんなの声援が聞こえ、1年の時に抱いていたものが一部実現し、複雑な気持ちでしたが、それでも、次走者に1秒でも速くタッチしなければ、と全力に駆け抜けていました。今思うと、私はレースばかりに気を取られていたような気がします。レースさえ良ければすべて良しとしてしまったのが、ちょっとまずかったですね。今となってはコレが部に良かれ悪かれ影響を与えたので良しとしますが・・・ちょっとエリートリレーとしての意識が欠如していました。結果は残念ながら6位・・・今までの東北大の準備では6位が限界か・・・としか思えませんでした。残念ですが、準備した分の実力しかだせないんですね。
4年の時、インカレショートは再び栃木県矢板で行われました。予選を無事に通過し、A−Finalに望みました。さすがに4回目ともなるとそれなりに慣れというか、落ち着きというか、勝負の真理を少し理解したような気がして、良いレースができました。結果も初入賞の6位とうれしかったです。4年目にして、初めてエリートの個人戦で表彰台に立てました。回数を重ねるごとに着実に速くなっているんだと思いました。後は、堀江が4位で、今回も彼には負けちゃったなぁとか考えちゃいました。部員にもみくちゃにされながらの表彰台・・・今も強烈に心に残ってます。2コ下の鉾立(現主将)が私の口にみかんを入れたことや、みんなからウィンブレに花束を入れられ孔雀みたいになったことや・・・などなど。いい思い出となりました。
春のインカレはまた愛知でした。最後のインカレなので後悔の残らないように、充実して楽しくインカレを過ごそうと考えてました。またこの時、初のシード選手となりました。偶然の一致かもしれませんが、2年の時に海外へ一緒に行った他大の同期もシード選手となっていました。不思議ですね。シード選手紹介では、女装をして大塚愛の「さくらんぼ」に合わせ、インタビューを受けました。笑ってくれる人もいてよかったです。意外と波紋を呼び、インカレ後もこの歌を聞くと私を思い出す人がいるらしいですが・・・
最後のインカレクラシックを迎えるにあたり、私は落ち着いていました。4年間あこがれていた優勝ですが、このときにはあまり結果を意識して無かったです。4年になって初めて結果は後からついてくるという意味を理解しました。優勝できるかどうかは分からないけど、今までの準備を100%発揮することが目標でした。そして、レースが始まると自分のレースをするように心掛けました。レース中は苦しかったし長く感じました。それでも、このまま走り続けていたいと思っていました。ゴールすると意外とタイムが良く、レースは短かかったんだなぁと感じました。そして、運も味方し、初めての入賞、しかも3位!今までの私の準備がきちんと結果に反映してくれてうれしかったです。学生の私にとってインカレは1番重要な大会でした。そこで東北大内でもトップで、しかも、表彰台に立てるなんて!優勝は無理でしたが、4年間で一番うれしい瞬間でした。インカレが女装だけで終わらなくて本当によかった〜!また、記念に女装して表彰台に立ちました。いつもどおり部員にもみくちゃにされる表彰式で今となっては良い思い出です。
2日目のリレーは去年に引き続きエリートの1走を任されました。ラスポ→ゴールはバテバテになっていましたが、部員のみんなやOB・OGの方々、MGの声援、があり思い切り走れました。私がこうしてこの場を走れるのもみんなのおかげがあってこそです。ありがとうございました。本当に感謝しています。そして、無事にその役割を果たすことができたと思います。心残りなのが、優勝争いのライバルであった東大に先行されたことですが・・・それが原因で、またしても心の弱さを部員に見せてしまったのも残念です。やっぱりレースのことしか考えてなかったような気がします。レースとレース以外の行動とバランスよく行動しないといけないですね。どちらが欠けても良くないと考えました。でも、私が悪い見本になれたので、来年以降の東北大は大丈夫でしょう。結果は2位とここ最近では良い順位となりました。優勝は本命視されていた東大です。しかも2連覇!でも、優勝を狙っていた私たちにとっては残念でした。1位と2位の間の壁の大きさを知りました。
東大は東北大より準備していたんだなぁと思いました。
こうして、私の4年のインカレは終わっていきました。細かいことはちょこっとありましたが、後夜祭なども含め今までで1番楽しいインカレになりました。
4回のインカレを通じて感じたことは、インカレってやっぱり楽しいですね。インカレだけではないです、オリエンって楽しいです。楽しいからココまで続けてこれたし、これからも続けていこうと考えています。オリエンをやるごとに1つ、また1つ、オリエンの楽しさを発見していければと思っています。学生が終わるとオリエンから身を引く人もいますが、せっかくココまで全力を通してやれるものがあるから、オリエンから身を引く事はもったいないことだと私は思いました。なんの取り柄もない私ですが、一生懸命になれるものが見つかったので、幸せです。人にはそれぞれ夢中になるものがありますが、私はそれがたまたまオリエンだったのかもしれません。これからも、私はオリエンを通じ様々な経験をしていくでしょう。
ここまで長々と読んでいただき、ありがとうございます。会場で見かけたら、そのときはよろしくお願いします。
また、これからもオリエンテーリング部がますます発展しますよう、また、卒業後も人と人とが繋がっていられるよう、OBの1人として応援させていただきます。
2004年8月10日 片平の研究室にて
浜田尚(2003年主将 2001年入学)
<2004年の春>
2003年度の主将を務めさせていただいたこと誠に光栄だったと思います。様々な人にお世話になり、そして迷惑をかけた一年間でした。お世話になりました。また、その裏返しとして、一年間オリエンに没頭できた年でもありました。2003年の一年間を振り替えてみると、まさにオリエンに振り回された一年間だったと。記憶に残る、そのいくつかの思い出を書きたいと思います。
まず、競技という面の前に自分達が開いた公認大会が印象強く残っています。公認大会と口にするのは簡単でしたが、実際のところは非常に大変な仕事が多かったと思います。その先頭に立って頑張ってくれた、実行委員長をはじめ、競技責任者や渉外、各パートのパートチーフetc、そしてコントローラーの方々には感謝してもしきれない思いがあります。そして参加していただいた諸先輩をはじめとする参加者の方々に支えられて大会は成功のうちに終わり(個人的には成功した気がします、たぶん。)、打ち上げでおいしいお酒が飲めました(個人的に大学にはいってベスト3に入るくらいおいしくて楽しい飲み会でした。)。また私はこの大会で多くのことを学べた気がいたします。頭の中が競技で埋められていた私にも裏方の仕事の重要さや、仲間の大切さがわかった気がいたします。運営責任者という名前ばかりの仕事で、皆には迷惑をかけることしかできませんでしたが、それでもなんとかこなせた気がします。当日は死体の方とずっとご同行させてもらい、せっかく楽しみにしていたトップクラスの方々や諸先輩の感想を聞くことができなくて残念でしたが、まぁあまり体験できないことを体験できたのでよしとしましょう(よしとしていいのか?)。大会実行委員長としてパイプ役をしたおネギ、競責として山をかけずりまわったH山、とりあえずギャグだったY村、HPの改善から様々な雑務をこなしてくれたK藤、とりあえず普通知らないよってことに詳しかったT中、協賛とりお疲れでしたJ、仕事がマイペースでいろいろ心配されつつも何事もなかったT内、マッパーの仕事大変そうでしたI戸、K林、そして一緒に青葉山を何日入ったかわからないKまち、そして手伝ってくれた皆様、お疲れ様でした。
次に思い出深いというよりも、学生としてやはりインカレというイベントは大きな存在だったと思います。主将という立場でありますと、いつものインカレよりも多くのプレッシャーや、そして競技に集中する前に仕事があるというような、いままでと少し状況の違ったインカレでありました。正直、インカレを終えた瞬間は、悔しいどうこうといった心境よりも何か「終わった」といった心境の方が自分にとっては大きかった気がいたします。それは悔しくなかったというわけではなく、一年間が終わったんだなという少しさびしいような、そして少し自分に対してお疲れ様といった心境であったのだと思います。このような辛気臭い話をいたしましても仕方がないので、主将の立場から見た(まぁようするに私の個人的な)感想をつらつらと書いていきたいと思います。
クラシックに関して言いますと、女子エリートの姫野さんがショートに続いて優勝されて、圧巻といった感じでした。私はスタート10秒前のコールに入っているにもかかわらず、コース上での不都合によりスタートを一時間も遅らされるというハプニングにみまわれ、なんともいえない心持ちでしたが、結果的には自らの力不足から入賞にはいたりませんでした。(仕方がないとは思いつつ、このレースに人一倍こだわっていました私にとって、運営者の上の方からレース後、特に何もなかったのに対しては少しながら憤りを感じた思い出があります。若かったです。)部全体で見れば、新人も頑張ってくれて、部として多くの個人表彰を受けたことは誇りに思います。ただ、もっとトレーニングをしてほしいと常日頃言っていた私が結局不甲斐無い成績で模範となれなかったことは残念でした。
リレーについてですが、女子は結局部員がいないことから女子チームを作ることができませんでした。男子リレーメンバーは櫻本、堀江、浜田、鉾立で臨みました。メンバー選考については今までどおり話し合いで決め、現状で一番よいと思うチームであったと思います。一年前も幸運なことに走らせてもらいましたが結果的には苦汁を飲む形となり今年はリベンジに燃えていました。今年と去年は自分に課せられた重みも違いましたが、やることはわかっていたので思ったより緊張しませんでした。1走、2走と東京大学とちょっとした差でバトンを受けた私は妙に落ち着いていた気がします。いいのか悪いのかよくわかりませんが、むしろ落ち着きすぎていて、攻め切れなかった感がありました。結局差を縮められずにアンカーにわたり、最終的に2位でゴール。勝てるチームであったのでやはり悔しかったですが、作戦通りにやって結局負けたので力負けしたということでした。リレーはまとめる、といわれますが、やはり攻め切れなくても勝てないということがわかりました。「リレーってやっぱり難しい」。しかしながら、ゴールレーンの声援はいいものですね。あらためて感じました、「リレーは全員で」と。
そしてインカレで最終的に山川杯が取れたこと。これは嬉しかったです。これこそ、一人でとるものではなくみんなの力で勝ち取ったものですから。今後も是非取っていってほしいものです。
インカレが終わって、そしてまた始まる。後輩達にはもっともっと頑張っていってほしいと思います。
そしてお世話になったオフィシャルの方、応援に駆けつけてくれた先輩方には感謝してもしきれない感があります。誠にありがとうございました。
一年間の思い出など、書いても書ききれませんのでこれくらいにしておきます。
私のような者がいうのもなんですが、これからもオリエンテーリングの伝統を引き継いでいってほしいものです。最近一時期より勢いが落ちてきているかもしれませんが、またもりかえすことでしょう。
この記念誌に私の文章を載せていただき誠に光栄です。この記念誌作りにご尽力を注がれました渡辺研也様手伝った皆様、お疲れ様でした。
つたない文章でしたが、以上で終わりとさせていただきます。
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